「ラフマニノフといえばこのリズム」と言われるほど有名な曲です。大地を踏みしめるような重厚な行進曲のリズムと、とろけるように甘美な中間部のコントラストは、まさに「ロシアの魂」そのもの。ピアノという楽器一台で、軍隊の威厳と、故郷への切ない郷愁の両方を表現しきる、ドラマティックな傑作です。
作品の背景
この曲は、ラフマニノフが作曲家として、そしてピアニストとして自信を取り戻し、脂が乗り切っていた時期に生まれました。
- 復活の時期の作品 1901年、ラフマニノフ28歳の頃に作曲されました。彼はその数年前に交響曲第1番の失敗で重度のうつ状態に陥っていましたが、名作「ピアノ協奏曲第2番」の成功で見事に復活。その勢いそのままに書かれたのが、この「作品23」の曲集です。
- 従兄への献呈 この曲は、ラフマニノフの従兄であり、当時の偉大なピアニスト兼指揮者であったアレクサンドル・ジロティに捧げられました。ラフマニノフ自身もこの曲を非常に愛し、生涯を通じてコンサートのアンコールなどで頻繁に演奏しました。
楽曲の構造と音楽的な特徴
曲は明快な三部形式(A - B - A')で構成されています。
- 第1部(A):軍靴の響き(Alla marcia)
- 調性: ト短調(G minor)
- 楽譜にはAlla marcia(行進曲風に)と記されています。
- 冒頭から刻まれる「タ・タ・タ、ダン!」という独特のリズムが、曲全体を支配します。これは華やかなパレードというよりは、北国の曇り空の下、重装備の兵士たちが厳格に行進しているような、厳しくも力強いイメージを喚起させます。
- 中間部(B):広大なロシアの歌
- 調性: ニ長調(D major)
- 激しい行進がふと止み、雰囲気が一変します。流れるような分散和音(アルペジオ)に乗せて、ラフマニノフ特有の長く、息の長い、泣きたくなるような美しいメロディが現れます。
- ここには、厳格な現実(行進)から離れ、遠い故郷や恋人を想うような「内面的な世界」が描かれています。この甘美さはラフマニノフの真骨頂です。
- 再現部(A')と終結
- 徐々にテンポを速めながら現実(行進のリズム)が戻ってきます。
- 面白いのは曲の終わり方です。普通なら「ジャン!」と派手に終わりそうなものですが、この曲は最後、行進の隊列が遠くへ去っていくかのように、静かに(pp)、短く消えるように終わります。この「余韻」が非常に洒落ています。
技術的難易度
ラフマニノフの作品らしく、ピアニストには高い身体能力が求められます。
- 巨大な手が必要な和音 ラフマニノフ自身が非常に大きな手(13度届いたと言われる)を持っていたため、この曲も10度(ドから1オクターブ上のミまで)を超えるような広い和音が頻出します。手が小さい奏者は、音を素早く分散させて弾く(アルペジオ)などの工夫が必要で、苦労するポイントです。
- リズムのキレと重さ 冒頭のリズムを、単調にならず、かつ重くなりすぎず、「鋭いキレ」を持って弾き続けるには、手首の柔軟性と指の強靭なコントロールが必要です。
- 内声の歌い方 中間部は、メロディの中にさらに別の対旋律(カウンターメロディ)が隠されています。複数の旋律を立体的に響かせる、多層的な表現力が求められます。
この曲が愛される理由
- 「カッコいい」の具現化 クラシック音楽には様々な名曲がありますが、この曲の第一印象は理屈抜きに「Cool(カッコいい)」です。リズムの推進力が強く、ロックやポップスのリスナーにも響きやすい魅力があります。
- 完璧なコントラスト 「厳格なリズム」と「流麗なメロディ」の対比が鮮やかで、3分〜4分という短い時間の中に、映画一本分のような濃密な物語を感じることができます。
- ロシア的な哀愁 勇ましいだけでなく、どこか影がある、凍てつくような孤独感や哀愁が漂っており、それが聴く人の心の琴線に触れます。
まとめ
ラフマニノフの『前奏曲 ト短調 作品23-5』は、彼の音楽的特徴である「強靭なリズム」と「甘美な叙情性」が、奇跡的なバランスで融合した小品です。
聴くときは勇ましく、弾くときは熱く。時代を超えて愛される、ピアノ音楽の「ハードボイルド」な一面を見せてくれる名曲です。

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